「死をポケットに入れて」を読んだ。

本を読むと、たいがいはそのまま受け入れてしまう。小説だと入り込みすぎてしまい、途中でやめられない上に感想文が書けない。主人公になりきってしばらく息をしていただけなのに、感想と言っても何を書くのかさっぱりわからない。わたしが玉ねぎなせいだと思う。むいてもむいても玉ねぎで核がない。

なりきるとはいえ、実際のわたしは71歳の老人ではないし、作家でもない。まして男でもない。4、5日まともに食べなかったこともないし、競馬をしたこともない。これからもすることはないと思う。
ただ彼がくだらないと書いていれば、その時はそう思う。やっぱり玉ねぎなのか。

大きな屋敷の少し埃っぽい部屋で、Macに向かう彼がいる。目に浮かぶ、と書こうとして何となく気持ち悪くなったのでやめた。猫が寝ている。うちに猫はいない。

真っ白な光に頭の中の文字の濁流をぶつけると、成形されて映し出されまた新たな言葉が生まれる。素晴らしい機械。ついでだから、わたしがくだらない文章を書くのも機械のせいにしてしまおうかな。この気持ち良さはなかなかない。
公開するかは別の話。書いて、書いているあいだに駅に着き、いつも消してしまう。地下鉄にいるといつも溢れ出てくる。座れたときだけ。

彼の文は死ぬ2年前のもの。わたしものちの自分がうすら笑うために、残しておいてもいいかもしれないと思いはじめている。でも字ばっかりで読み返す気力もない。

わたしも死を左のポケットに入れて歩いている、かもしれないが出して話しかけることはしない。iPhoneは右のポケットに。

夜中に起きてしまった玉ねぎはもう寝ます。やれやれ。

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