本ろぐ[1]媚びない人生と、私と子育てと。



まず、わたし。

緊張を楽しむ

「もとより緊張は、実現する可能性があるからこそ、しているのである。」

不可能なことなら緊張しないし、というより元から挑戦しないかもしれない。余裕でできることなら、また緊張はしない。

つまりこの間の演奏会でのわたしは、わたしにまだ期待していたということ。だからこそ開始1分でつまずいたときに、自分にものすごくがっかりした。わたしは自分が思っているより、まだわたし自身に失望もしていないということがわかった。まだまだやれると思っている。ただ、これがやらなければならないことかは、別の問題。

失われた自分を取り戻す

誰もが少なからずあるのが、自分と自分の役割や、期待される自分と、本来の自然体の自分との兼ね合いに苦しむこと。それは他から植え付けられたものかもしれないし、たまたまそこに属していた人と比べて、そうだったからかもしれない。その上に自分の思い込みと選択の結果で、強化されていったもの。違和感があるなら、自分で変えていく。

子どもとわたし、子育てに使えること

本当に権威のある人は、権威を振りかざさない

親であるから偉いわけでもない。と書くとしつけをしないみたいだけれど、それはまた別のお話。「人間、平和が一番ではあるが、戦うときはいつでも受けて立つ気概を持つことが求められる。」子ども相手といえどそれは同じ。とにかく、バランス。

恥じるべきは、無知への無知、知ったかぶりはしない

20代に向けて書かれたようなので、わたしちょっと読むの遅かったのですが。

親といっても何事も知っているわけではないので、知らないことは知らない、一緒に調べる。完璧でいて、子どもが死ぬまで乗り越えられないような親になるのもおかしいと思う。

2割話し、8割聞く

子どもの話はきちんと聞こうとかかなり当たり前でどこにでも書いていると思うけれど、実際オチもない話を聞くのは苦痛。だから何やねん。とついツッコミをいれてしまう。こうやって関西人は作られる。

言葉は量でなく、重さで勝負せよ

これは子どもにえんえんと説教したくなるときに使う。えんえんと話したところで、ほとんど聞いていない。こちらの気が済むだけの話。ポイントを明快にし、はっきり何について説得し、教えたいのかわからないうちは黙っている。でもえんえん言いたくなる。気づいたら手を変え品を変え同じことを言っていたりする。相当冷静にならないといけない。結構難しい。あとで、言い過ぎたごめん。と謝ったりする。ついでに言うと、なぜ怒ったのか言わせてみたりする。わかった?!と聞いてわかっていたことなんてないのだ。言わせてみると、全然わかっていなかったりするからオススメ。

肯定のオーラの起点となれ

わたしのことを知っている方は思うだろうけれど、相当ネガティブな人間。ネガティブが服を着て歩いている。子育てをしているとそういうわけにはいかない。ちょっと怪我したくらいでこっちが焦っていたら子どもは余計泣く。ママがいけるいける!!と本気で信じていたら子どもも信じる。小さいうちだけのことかもしれないけれど、わたしの子どもはふたりとも、自分が世界で1番可愛いと思っている。最近かっこいいと言ってほしいらしい(嫌だ)。

そんなこんなで、この本から学べることはまだたくさんあるのですが、少し抜き出してみました。まだ新米ママで、子どもも小さい上にうちの子しか育てたことがないので(‘-‘*)偉そうなことは言えませんが、これからちょこちょこ子ネタも書いていこうと思います。刺されたら刺されたって書けばいいやんってすごく面白いことを言われたので、目から鱗がぽろぽろと。お読みいただきありがとうございました。

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