iPhone5をiOS7にしましたが別にダサいと思いませんでした。

自分に似合う服もわからないような私ですので、センスがないせいもありますが、iPhone 5をiOS7にしてみて、「へぇ〜。」と言い、それなりに可愛いと思って使っております。


デザインを学ぶと見る目が厳しくなるのかもしれません。わたしは自分に組み合わせのセンスはありませんが、綺麗なものや美しいものは好きです。アプリにおいても。そしてその自分の感覚を信じていません。ただ新しいものに惹かれることもあるからです。


学んだ方たちが、ダサいと言うのならそうかもしれませんが、一介のユーザーとして、1日中iPhoneを見つめるもののひとりとしては、新しい携帯に変えたようで嬉しく思っています。







特にロック画面と、壁紙に影響されるパスコードのところが好きです。綺麗。

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どうしても、その世界を知るなら見る目が厳しくなるのかもしれないと考えたとき、そうすると知らない方が幸せなのかもしれないと思ったりしました。


そして思ったのが服について。
知ることであの人がダサいなどと他を、そして自分を裁いてしまうのなら、知識もいらず雑誌も読まない方が楽かもしれません。しかしながら服や靴もお金が付いて回るものということと、自分をプロデュースするという意味ではiPhoneの中身とは違う気がします。

ただ、服も靴もバッグも、自分には良すぎるもの、自分の年齢や中身がその品物に追いついていない上質なものが存在します。その物は値段もそれ相応にするものです。
自分の身の丈を把握すること、ときにはそれに追いつく自分になりたいと思うことも大事だと思ったりします。

ただiPhoneが安いから普及したのはいいけれども、こんな美しいものがこんな片付いていない家にあったりこんな私が持っていたらいけないのではないかとか考えてみると面白いと思うのです。


こういう考えがまず庶民なのでしょう。ハイブランドだろうが、ダサいと思う人はいるのでしょうし、それはそれでかっこいい。



もうひとつ思い出すのは、あの人上手なの?という質問です。
わたしはピアノをそれなりに弾きます。やはりはじめのうちは、学んできたやり方がすべてだと思っていました。あの人はこうだからなってない、音が汚い、指の形が、腕の形が、どうのこうの。
しかしあまりそれを追求すると、楽しめなくなる自分に気づきます。その奥の熱を見逃す気がするのです。


確かにダサいより美しい方がいいのでしょう。いつも見るものが、美しいものであるというのは幸せです。おいおい結局顔かよ。美人は得だな。じゃなくて……。




何が言いたいかと言うと、私は結構気に入っていますのに、あんまり色々目にして少し悲しかっただけです、いじいじ。 あんまりフラットだぺったんこだ言われるとそういう意味でほら悲しくなったりするわけで…。(ごめんなさいこれは今考えた)

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