思考を言語化するということ。

 たとえば人の心が読めるとして、今わたしのこころを読んでみて下さい。

というと、「おなかすいたなー。」みたいな文章を言うでしょう。

たぶん小学生の頃、星新一のショートショートや、七瀬ふたたびとかいう小説を読んだことがあり、その中に人の心が読める主人公が出てきたりします。誰でもそういう妄想はしたことがあると思うのです。ない?

わたしはそう考えたとき、思考が読まれてしまうほうを考えました。こんなに混沌としていては何もわからないのでは?もしかして、みんなこんな風にものを考えているの?と。

もし誰かがわたしの心を読んだとき、明確な文章でなければわかりにくいので、その頃から、思いついたときに頭の中で文章にするように心がけました。もしかしたら、他のみんなは頭の中できちんとした文章で物事を考えているのかもしれないと。

どうせ心が読めるのならば、わたしが何を考えているかなんていうことは丸裸なわけだし、いまさら何も恥ずかしがることはないので、読みやすくなるようにしておいた方がいいのではないかと、そのときは結構真面目に考えていました。もしかして、文章化された思考だけは読める人がいるかもしれないとか。

こういうのがほんとのちゅうにびょうと言うのかしら。定義が未だにわかりません。

ただ、普段から誰かに心を読まれていると思いながら考えごとをするということは、文章を作る訓練になるかもしれないと思いました。続きは誰かえらい人が考えてください。

ということを考えながら、洗濯物を干していました。おやすみなさい。

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