ドはドーナツのミだった。

思考を言語化すること 
http://yayoko314.com/2014/04/14/nanase/

の続きです。続くかは書いてみないとわかりません。

星新一を読んでいると、平気でまわりが全部宇宙人だとかいう設定があったりします。

あながち間違いじゃないというか、それは誰も証明できないところでしょう。これが全部夢だったとかいうオチと同じです。

まず、全部夢だったとすれば、いつ覚めるかはわからないので結局生きて行くことになります。まわりが全部宇宙人だったとして、あなたがただひとりの人間で、すべてのデータを取られ観察されているとしても、結局一生懸命生きて行くことに変わりはありません。

そして、まわりが宇宙人だろうがそうでなかろうが、人は何を考えているかがわからない上に、成長したり屈折したり気分が変わったり、フリをしたり、自分でもわかっていなかったりするのだから、自分以外には宇宙人だと思って相対しても、そう態度は変わらないかもしれません。

というわけで、自分以外が宇宙人だと思っていると、そんなことを言う君が宇宙人だとか何故か逆の立場に追い込まれるわけですが、それは置いておいて、自分以外の人はとても楽しいことがわかります。

人が何を考えて生きているんだろうとか、こういう反応をしてくるんだとか、どう育ったからこうなったんだとか、何がどうなったきっかけで今これが好きなのか嫌いなのか、興味の尽きることがありません。ひととおり聞いた頃には、その人はもう変わってしまっていることでしょう。

ドはドーナツのド。という歌は、もちろんそれは歌詞で、それをわかった上で歌っているはずなのに、

ドはドーナツのドって歌ってるけど、ドはドーナツのミだよね。と言われたとき、世の中はなんておもしろいんだと思いました。レはレモンのファだ。おもしろい。

ドって、楽譜を反対にぐるっとまわしてもドだよね。とか。

まあこんな雑学っぽいのはどうでもいいんですが(いいんかい)5センチヒールを履くだけで、見える世界が変わるのだから、別の人間として何年も何年も生きて来た宇宙人のような自分以外の人が、別の視点を持って自分と関わるということが、世の中でいちばんおもしろいことなんじゃないのかなと思います。

ま、いじめてくるひとはいらんけどね!

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