リラックマのトイレットペーパーという贅沢について。

 
この世に贅沢というものは数あれど、日の目を見ることの少ない贅沢ほど、それを極めたものはないのではないでしょうか。

贅沢であるという定義は人それぞれながら、例えば一瞬目に触れるだけで廃棄されるものにお金をかけることは、きっと贅沢の範疇に入ると思います。それゆえ、なぜそんな事態に陥ったのかをわたしひとりきりでもおおいに論じ記録しておかねばなりません。

自分というものは、わかっているようでわかっていないところのほうが多いというのは、世の中と同じでしょう。
わたしはどうやらくまが好きなようなのです。それを自覚するまでに、たくさんの時間が流れました。もちろん、現実世界に、山に、いらっしゃるであろう熊さんのことではありません。彼もしくは彼女の生態についてわたしは詳しくなく、本当にはっぱを頭にのせるのかどうかも知らないのです。

わたしの言うくまは、丸く描かれたもので、見事に計算された位置にくるくるとした目がついています。きっと何かの統計でもって、大多数のひとが可愛いと感じる位置を計算して配置しているのに違いありません。でなければ、こんな一介のトイレットペーパーにまで、ひたすらにそのくまが印刷されるわけないのですから。

ひとつの行為を贅沢だと認識しながらも行う場合に、瞬時に満足度を推測します。それが物品であるならば、使用した自分を想像し愉悦に浸るようなことがあるのですが、今回は50円ほどのためさして熟考することもなく、2、3歩のうちにその作業を行い決断してしまったのでございます。

今思えばそこでひとまず立ち止まり、事態を慮るべきであったのでしょう。しかしそのときの浅はかなわたしは、そのまま帰途についていったのでした。

それがわたしの想像した通りの満足度であったなら、わたしはこれをさして贅沢とも思わず、楽しいひとときを過ごしたあと忘れ去ったかもしれません。しかしそれは予想を少し裏切るかたちになってしまいました。

よく目に触れるものが、あのぷくぷくしているであろうくまなら、きっと毎日楽しいだろうと安易な判断で購入した410円のトイレットペーパー。
ぷくぷくしているかどうかなんて、ああいうかたちのものはぷくぷくしているのだという人類最古の、赤ちゃんをかわいいと感じるものと同じ刷り込みでして実際触ったこともないけれども絶対にそうだと言い切れるこの自信。
はともかく、実際にトイレで使用してみますと、「トイレットペーパーホルダー」の存在をすっかり忘れていたことに気がついたのです。

トイレットペーパーのくるくるまわる上には、カバーと言いましょうか、「ふた」がかぶっていたのでございます。使用段階で引き出すまで、くまはあらわれないことになっているのです。ここで、くまが常時目に触れるわけではないことに、なんという贅沢をしてしまったのだろうと、愕然としたのでした。

もしあのとき、冷静な判断でもって選んでいたなら、差額で「ぷくぷくたいやき」あたりが買えたはずなのです…。
こうなってくると、俄然「ぷくぷくたいやき」が魅力的に思えてくるので不思議です。
そして今、「ぷくぷくたいやき」を知らぬであろうかたのために、画像でも貼っておきましょうと上から目線で検索いたしましたところ、「ぷくぷくたい」と長年名称を間違って覚えていたことを知り、頭にたらいをぶつけられた気分になりました。
しかしながら、検索でも「ぷくぷくたいやき」で「ぷくぷくたい」が出てくることを見ると、あまり世間のご迷惑にもならなそうであります。わたしはこのまま「ぷくぷくたいやき」と言い続けることをお許しください。

そして最後に、せめてもの抵抗といたしまして、予備に置いてあるトイレットペーパーを、柄が見えるように横にして並べてみましたところ、サイズが変わったため収納できず、あえなく元に戻したことを記しておきます。

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