夕日と海でもと思ったら3層になっていて、だんだんスイーツに見えてきた。なかなかおめでたい脳。
シューノーケリングをした。
今回はライフジャケットがなかったので少し不安だったけれど、問題なし。潜れば静かな静かな海。
入るまでは冷たい気がしたり身体が濡れていくのが嫌で、やめようかといつも思う。
しかし1度入ってしまえば、こんどは出たくなくなる。
海の中で、自分の息の音だけを聴きながらぷかぷか浮かぶのは、最高にひとりきりを味わえる。
ひとりになりたいわけではないのだが、何かについて思うとき、文章を書くときは、しんしんとした夜中が書きやすい。音楽もいらない。
海の中で、自分の息の音も自分のものだとわからないような、自分の体も、自分のものでないような、海にふわりふわりとしていると、いつまでもどこまでも、遠くに行けそうな気がする。危ない。行かないよ、もちろん。
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こころとあたまとからだは、つながっているけれどつながっていなくて、文字がたまって吐きそうになってもリアルにからだで吐くことはできない。
文字は文字でしか吐けない。
この、からだに文字がたまってうごめくというのは、誰でもあるものなのだろうか?
レジが吐き出すレシートのように、一定量印字して吐き出したくなる。
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ときどき、昼間の繁華街でもどこでも、ふと、ひとりで海の中にいるような、何もかもと距離を置いた気持ちと視点になることがある。
そのとき身体は自分のもののはずなのに、なぜか距離を感じて、気分だけ幽体離脱しているかのようだ。
そんなときは、頭のなかで文章が作られて、誰にも読まれないブログが書かれていたりする。
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わたしだけかと思ったら、ときどきそういうことになる人がいるらしい。
きっとそのモードの時の目って同じなんだろうね。
想像したら少し笑えた。