半分寝ています。
また、誰が書いたのかわからないような文章を書きます。
昔、童謡か何かを作ろうとしたことがあります。かなり幼い時。私には神が降りて来なかったので、いくら作り出しても、どこかで聴いたメロディーになり、うんざりして投げ出しました。
どこに行っても変わった子だと言われ続け、何が変わっているのか、考えるようになりました。
可愛くないまでも、目も鼻も手も足も普通についていたし、言葉も話せました。私が人と違うところなんて見当たらない。
そして、逆に、私にオリジナルなところなんてあるの?
皆が使う日本語を話し、同じように歩き、だいたいみんなが好きなものに合わせ、上から2番目か3番目を目指す。この私のどこに個性があるのか。
今思えば、単に、24時間の大半を、眠って過ごしていたからだとわかります。
聞いているようで聞いていないし、聞いていないと思われて質問されると答えるし、できるところとできないところの差がよくわからない。
そりゃ変わった子という表現になるのでしょう。
完全にオリジナルなことを求め、完璧な現実と、依存と、何かになりたいとか思ったら、かなり早い段階から、子どもが欲しかった。産めない頃から。
いくら可愛がっても、その子は泣いたら走って母親の元に戻る。完璧。
そんなことで産んだのかとあとで責められそうだけれど、
ああ、この話はまた今度。
そこまで許しちゃダメよと言われて、はっと、また、現実を生きようとしていないことに気づきました。
すぐ生きているのを忘れる。こういうのをちゅうにびょうというのかしら。
映像や文章の中で生き、心が揺れたり泣いたり笑ったり、痛んだり、それの続きじゃないのかって今は。同じことじゃない?
そりゃ何回もトイレに行ったり、間違って辛いものを食べたりは略されるし、ちょっとつまずいたり靴擦れしたりはしないかも。
でも、通じないし、夢だし雰囲気だし、夢で会話しているのとそう変わらない。
とりあえず、今は半分寝ています。