海外ドラマが好きで、でも1週間待つのすら耐えられなくて、1シーズンが終わるまで録画し、まとめて見ています。
今はCSIシリーズ。10だったかな。ラスベガスが見終わったところです。
女性が物を家じゅうに溜め込み、その中から死体がいくつか出てきます。この番組を見ていたら、豚足でも食べられる強さが身につくかもしれません。
テレビから死臭は漂って来ませんので安心しつつ。
いつもうまく45分で事件は解決します。
最後に、教授が、所有と存在について軽く触れます。聞いたことがなかったので少しググりました。
フロムという人が、人を所有と存在ということを話していたそうで、だいたい皆様そのバランスで生きておられるとかなんとか。
その2つに分けるのもどうかと思いましたが、はじめに何か分けてみないと始まらないこともあるのでしょう。
ゴミ屋敷を見たあとですと、パッと「所有」に悪を見出すわけですが、所有も人間の喜びのひとつではあるとドラマの教授もおっしゃっていましたし、逆らうつもりはありません。所有大好き。食器洗い乾燥機がほしい。
所有とは物やお金だけではなく、人やその感情、知識も含まれるそうで、そうなると少し考えてしまいます。だいたいのものは、すべて悪いわけでもない。
この場合の「存在」とは、すなわちスナフキン。花がそこにあるならばその花はそこで美しく、ちぎって持って帰っちゃだめよ。的な概念らしいです。
所有の反対になるのかはわかりませんが、ありのまま認め合うとか書いてしまえば、結構綺麗事っぽくて素敵です。
存在を楽しむということは、まあすべての子どもにはそう接してあげていただきたいところではありますが、なかなかこの現代社会難しいのではないでしょうかってわたしは誰やねん。
所有の喜びは、所有の喜びを味わっているとその瞬間自覚することが大事なのかなと漠然と考えていました。所有を限りなくしないために。その瞬間の喜びを感じる気持ちってそれがそこにあるという喜び、すなわち存在とどう違うの、はいぐるぐるしてきましたわたし。
所有志向が進むとどうなるとか現代社会をバッサリやってみたりしたい気もないことはないのですが、すっかりその恩恵に浸っておりますので、偉そうに言えるわけもなく、ただ精神的にだけでも少し遠目から見ていたいという微かな抵抗を、何言ってるかわからん。
そして、慣れや忘れることについてまた考えだすのでした。
なんでもバランスよね、と、だいたいのことはこれでしばらく決着させ、甘めの珈琲を飲むという何分かの贅沢に浸ることにします。
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