ぽた、ぽた、ぽた、と点滴が落ちるのと、そこから視点を少しずらすと見える、壁にかかった丸い時計の秒針を、交互に見ていた。
時計の秒針は、カチ、カチ、と動くものではなくて、すーっと、音がしないタイプのもの。
39度をいくらか越えて、さらに歩いて待って、もう気持ちはするめ。
ぼーっとした頭は本当にぼーっとしていて、時間もどうでもよく、30分から1時間はかかりますよーと言われても、チビにiPhoneでHuluを見せている残り充電だけが少しだけ気になったが、時計の短針も長針もどうでもよかった。
なるほどなー。退屈というものはしんどくないときにしか味わえないものなのか。と妙に納得した。
視点を動かすのも怠く、しかし点滴を見ていると腕が圧迫されたような気になるので、時計の秒針を相変わらず眺めている。
ぽた、ぽた、ぽた、というのは聞こえないのに、ぽた、ぽた、ぽた、とひとりで脳内で喋っているわたしは日本の漫画っ子なのだなぁと思いながら、暇な耳だけ活動していた。
耳鼻咽喉科にはたくさんの患者さんが来て、あのねぇーこっちはねぇーー聞こえるんだけどねぇーーー。とかやっていて、
いやはや、耳が遠くなるというのは、大きい声を出す必要があるわけで、それはそれで体力のいりそうなことだなぁと妙に納得した。
かくしてするめは、点滴による空元気で幾分しゃきっと帰途につくのでありました。