ある日、2号が
ピアノの下開けたら、ファイズのベルト出てきたりしてな〜。
と言った。
そんなわけないってわかってはいても、そんな想像をしてしまう。
わたしも、ピアノの下を開けたら、フルートとかバイオリンとか、綺麗な楽器がたくさん出てくるかなぁと、考えていたことがある。
そのへんで我に返ればいいのだけれど、それを、ここに置いて〜吹いてみて〜とか頭の中でやりだすと、もう目がどこかにいっちゃっている。
空想や夢は、そのままにしておいたほうがいいと思う。たとえそれがいかに現実離れしていても、むやみに否定すると、現実に生きることが嫌になってしまう。
現実的な答えをしなくてはならないときと、そうなったらいいねぇ、と、一見バカバカしいような空想に付き合うときも、共通するのは子どもを尊重するということ。
大人はつい、口が滑って子どもをバカにしがちだから、重々気をつけないといけない。もちろんわたしもそう。
大人目線で言うと、空想やお喋りに付き合うと、実は大人にも大きな利点がある。
彼らの中身を知ることができるのはもちろん、1番は、付き合ってくれた大人に心を許してくれること。
心を許してくれると、こちらが示す規範も理解し、歩み寄る姿勢を見せてくれる。
というと難しいけれど、つまり、「言うことを聞いてくれる」。
ことも、ある。もちろん、誰にでも当てはまるものではないけれど。さぁて。ほかにはどうやったら練習する気になるかなぁ。
と、せんせいは毎日かんがえる。